キーボードの話(13)──自作の世界へ踏み入れる決心をした
MINIRA-Rはとても気に入ったが
前回書いたとおり、FILCO「Majestouch MINIRA-R Convertible」は全部で4台購入するほど愛用していたものの、気になる点がないわけでもなかった。
1つめに、親指が担当するキーのサイズ。スペースキーの左側はよいのだが、右側が左側と対称ではないうえに、「かな」キーがわずかに遠いため、微妙に押しづらい。その結果、どうしても右側のキーに対しては億劫になってしまう。
かなキーには、PC側でEnterキーを割り当てている。BackspaceキーやDeleteキーは、MINIRA-R本来の機能であるFnキーとの同時押しで届くので、どうせならEnterキーもホームポジションを崩さずに押したいのだ。
2つめに、キーボード本体にカスタマイズしたキー配列を保存できない。そのため、PC1台ごとに設定する必要がある。
そのうえ、Windowsではちょっとした問題があった。MacのKarabiner-Elementsではキーボード1台ずつに異なる設定を行えるのだが(厳密に言えば、メーカー名と機種名で判別されるので、4台のMINIRA-Rは区別されない)、Windowsではそれを実現する方法を見つけられなかった。このため、Tomisuke配列に設定したHHKBと、MINIRA-Rの両方をとっかえひっかえ使うときは(筆者はよくこういうことをする)、MacのKarabiner-ElementsではHHKBを無視するように設定すればキーボード側に保存したキー配列が使われるが、Windowsでは辻褄を合わせるためにあれこれ工夫する必要があった。
自作ならもっとこだわれそうだ
そんなとき──具体的にはTomisuke配列を導入した後──に、自作キーボードについてあらためてあれこれ調べてみたところ、実用面だけを考えても大きな魅力があることが分かった(テレビ番組などで何度か紹介されたことがあるようだが、筆者は当時地上波はタモリ倶楽部しか見ていなかったので、まったく知らなかった)。
このとき大きな情報源となったのが、自ら基盤設計やキットの頒布も行っているサリチル酸氏のブログである。たくさんの記事を何度も読み返させて頂いたし、週報だけでなく、ことあるごとに拝読している。
→「自作キーボード温泉街の歩き方」(サリチル酸)
最初にしたことは、入門者向けFAQの精読であった。この1ページだけでも膨大な情報がある。
→「自作キーボードを始める時のFAQ」(自作キーボード温泉街の歩き方)
キーカスタマイズは1つずつ可能
筆者にとって自作キーボードの最大の魅力は、徹底したキーカスタマイズ機能だ。広く採用されているプログラムでは、個別の物理的なキーに好みの文字を割り当てられるだけでなく、複数のレイヤーを組み合わせたり、マクロを作成して割り当てることもできる。メーカー製でもある程度カスタマイズできるものはあるが、これほど徹底しているものはありがたい。
→「(初心者編)Remapを使ってキーマップを書き換えよう」(自作キーボード温泉街の歩き方)
しかも、設定した内容はキーボード側のマイコンに保存されるため、複数のPCを使っていても個別に設定して回る必要がない。新しい配列のアイデアを思いついたときも、1台だけ更新すればよい。
キットだけでも種類が豊富
高いカスタマイズ性を自作キーボードのソフトウェア面の魅力とすれば、世界中の設計者が手掛けている実機のバリエーションの広さが、ハードウェア面の魅力だろう。
自作キーボードの実機といっても、具体的なものはキーキャップ1個からフルサイズを超えるものまで本当にいろいろあり、どれも作者の意気込みが伝わってきて楽しくなる。なかでも主役は、必要な部品のほとんどをセットにして、購入者が自分で組み立てるキットだろう。現在国内で唯一実店舗を持つ自作キーボード専門店、遊舎工房の通販ラインナップを見れば、一体型、分割型、超小型、マクロパッドなど多数ある。
→遊舎工房の通販リストのうち、「在庫あり」の「キーボード」を検索
筆者はラインナップを何度も眺めているうちに、「ErgoArrows」がすっかり気に入ってしまった(気に入った点については、また回を改めて記す)。実機に触ってもいないうちから入れ込むのは危険だと分かってはいるが、これを作るためにはどうすればいいか、それをまず考えるようになった。
実際、ErgoArrowsに魅入られた方は少なくないようで、検索するといくつものビルドログ(組み立て記事)を見つけられる。どれもユーザーの思い入れが伝わってくるが、1つだけ紹介させていただくならば、現役小説家の手によるものを選ぼうか。
→「分割エルゴノミクスキーボードErgoArrowsを組み立てたので自慢したい」(三雲岳斗)
デメリットを再検討したら大した問題じゃなかった
実は、自作キーボードという世界があることはもっと以前から知っていたが、あえて手を出していなかった。しかし、「手を出さない理由」を改めて検討したところ、実は大したデメリットではなかったことに気づいた。事情は人それぞれなので、あくまでも筆者の場合である。
「組み立てる技術と知識が必要」
自作キーボードを組み立てるには、さまざまなことを学ぶ必要があるし、ハンダ付けをはじめとした技術も必要だ。独特の用語も多く、ビルドガイド(組み立ての説明書)を読み解くのも簡単ではない。
しかし、手間さえ惜しまなければ、ネットで無料公開されている情報だけでも入門に必要なレベルのことは十分学習できる。
そうは言っても勉強は時間がかかるし、組み立て作業に失敗して部品を壊してしまうおそれもあるので、お金で済ませる方法もある。たとえば、遊舎工房には特定の機種の組み立てを代行してくれる「キーボード組み立てサービス」がある。ErgoArrowsの場合で17,600円(工賃のみ)かかるが、工具を買うことなく、勉強する必要もなく、詳しい人に組み立ててもらえて、2週間の保証までつけてくれることを考えると、妥当な金額だろう。BOOTHでキットを頒布されている方の中にも、ハンダ付けや組み立て代行のオプションを用意されている場合がある。
ただし、お金のことだけを考えれば、工具をフルセットで買っても大して変わらない。さらに、筆者の場合は、1台手に入れてはい終わりとはならないだろうと思ったし、いい機会だから新しいことをやってみようと思った。世間はAIで盛り上がっているが、いまこそ手作業を始めるのもいいじゃないか。やってみて、もしもやっぱりだめだとなったら、全部メルカリで売ればいいのである。
「組み立てる工具が必要」
キットを組み立てるには工具が必要で、それだけでも相応の金額になる。遊舎工房の「工具セット」は、「基本セット」でも11,000円、「全部入りセット」になると16,500円する(計算してみたが、どこで買ってもだいたいこれくらいの金額になるし、安い店を探して分けて買っても、送料のほうが高く付くだろうし、丸1日秋葉原を歩き回れるとしても楽なことではない)。実際には、さらに作業用のマットや、防護用のメガネもほしいところだ。
確かに安くはないが、組み立てを代行してもらっても工具一式と同じくらいの金額はかかる。それに、文字入力用のキーボードのほかに、特定アプリ用のマクロパッドも何台かほしいと思っていたので、工具を揃えて自分で作るほうが、結局はいいように思えた。
もしも「キーボードは1台しか必要ないし、組み立ても1度しかやらない」というのであれば、購入せずに済ませる方法もある。たとえば、遊舎工房には有料の「工作室」という有料サービスがあり、ハンダごてのような機材から(消耗品の)ハンダまで使わせてもらえる。これはオプションになるが、店員さんにヘルプを頼むことも可能だそうだから、「自分で作ってみたいが、1人では不安」という場合は心強い。筆者も、「工具を買ってもかまわないとは思っているが、最初の1台は工作室へ行こうかな」と思っていた(時間が取れず、結局行かずに自習で済ませてしまったが)。
「高い」
工具の分を差し引いても、組み立てに必要な資材は安くない。実際には、完成品よりも安く済む場合もあるが、高く付く場合のほうが多いように思える。
しかし、そのぶんだけ徹底的にこだわることができる。キーキャップ1個に至るまで好きな部品を使えるし、細かなキーカスタマイズもできる。筆者の最初の要望だった、親指が担当するキーが多く、かつ、左右対称になっているキーボードも多い。
メーカー製のものでは満足できなかった、そして将来的にも満足できるようになるとは思えないことがすべて解消できそうだと考えれば、多少割高になったとしても、購入する価値は十分にあると思えた。そう考えると、果たして本当に「割高」なのだろうか? 吊るしのスーツとオーダーメイドのスーツくらいの違いはあって当然だろう。焦点は、メーカー品で満足できるか、できないか、である。
「2度同じ製品が手に入るとは限らない」
自作キーボードの場合、いざ故障したときの継続性という点では難がある。1機種あたりの生産台数は限られているし、1度品切れになったら次はいつ手に入るか分からない。回路図がオープンソースで公開されている場合や、自分で回路を設計する場合を除けば、どれほど気に入った機種があっても、2度と同じものが手に入るとは限らない。
しかし、そうは言ってもメーカー品だって同じようなものではないだろうか。長年PCを使ってきていると、どれほど愛用している製品でも、どれほど大きなメーカーから発売されていても、案外とあっけなく製造終了して2度と手に入らなくなった経験はある。それも1つや2つではない。
筆者は、かつてMicrosoftのIntelli Mouse Opticalというマウスを大変気に入って使っていたが、気づいたときには生産が終了し、店頭在庫もまったくなくなっていた。いまはロジクールのG300というマウスを大変気に入っていて、すべてのマシンに同じものをつなげている(同じようにカスタマイズすれば、操作性を共通にできるからだ)。これは3台ストックしてある。そうしたら案の定、いつの間にか生産終了して流通在庫もなくなっていた。
同様に、マイナーチェンジで「改悪」される場合もある。たとえば、筆者が購入した2台のRealforceはともに第1世代でスペースキーが短く、筆者の趣味に合ったものだった。しかし第2世代ではスペースキーがずいぶんと長くなり、第3世代ではやや短くなったが第1世代に比べると買いたい代物ではない。
しかし、メーカー品にいくら「改悪」と文句を言ったところで、それは自分の趣味に合わないというだけのことであって、メーカーの設計者が下した結論と合わなくても仕方のないことだ。ならば、自分の趣味に合うものは、自分で作るしかない。
幸いなことに筆者は、自分で基盤を設計しなくても、自分の趣味にかなり近いと思えるキーボードを見つけることができた。1台組み立ててみて、心底気に入ったなら何台かストックを買い込めばいい。これで十分ではないか。
最後の一押し
こうしてうだうだ考えていたところに、決定打となった事件が起きた。ある日突然、右肩が上がらなくなり、右手首より下を思うように動かせなくなった。キーボードのキーを押すくらいまでは我慢できるが、マウスのボタンは重い。ホイールを回すのは辛い。五十肩になってしまったのである。
五十肩でなくとも、シナリオライターや小説家など、長時間キーボードに向かっている職種には肩の痛みを訴える方が多い。その根本的な対策の1つとして、分割キーボードを使うことがある。もっとも、ネットで調べてみると、そうだという声もあるし、そうではないという声もあった。こういうものは人によりけりなので、どちらも正しく自分の感想を述べているのだろう。
筆者はこれまで肩をすぼめずに済むほどに広げられる分割キーボードを使ったことがない。1度は遊舎工房へ行って実機に触れてみたかったが、もうそんな余裕もなくなってしまった。とりあえず、2台のMINIRA-Rを同時接続して分割キーボードに見立てて使ってみたところ、たしかに、肩の痛みの対策や、姿勢の改善にとってよいもののように思えた。
分割キーボードを避ける向きはあるが、一体型ながら本体中央で割れているキーボード(LACOIN TK02)を使った経験からすると、分割キーボードは難なく使えそうだった。いや、むしろ使ってみたい。きっと気に入るだろう。
ところが、メーカー品の分割キーボードはほんの数機種しかない。しかも、親指が担当するキーのサイズが気に入りそうなものは1つもない。値段や流通の問題ではない。存在しないのである。
もう、ErgoArrowsを手に入れるしかない。そういう結論になった。
次回は、工具選びの話をする。